「ゲームは始まっている」——シャーロック・ホームズという現象
- 日本スチームパンク協会

- 21 時間前
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喫茶蒸談へようこそ
シャーロック・ホームズは、1887年に生まれた架空の探偵だ。 なのにロンドンには彼の「自宅」があり、実在の科学者が彼に影響を受けたと公言し、90年以上続くファンの研究団体がある。
ガイ・リッチー監督の映画版では、ヴィクトリア朝の煤煙と蒸気のロンドンを舞台に、スチームパンク的な質感と「野性味あるホームズ」が描かれた。そしていま、同じ監督・製作でプライムビデオの新作ドラマ『ヤング・シャーロック』が動き出している。
「推理もの」を超えて現象になったシャーロック・ホームズとは、いったい何者なのか。 映像の話、スチームパンクとの接点、シャーロキアンの遊び場まで、ざっくりと整理してみた。
■この対談に登場するふたり

MaRy(マリィ):日本スチームパンク協会 代表理事。感覚派で、スチームパンクの“ワクワクするところ”を見つけ出すのが得意。気になったことはどんどん質問するスタイルで、対談の聞き手としても案内役としても活躍中。

ツダイサオ:日本スチームパンク協会 理事。物事を論理的に捉えるタイプで、歴史や文化、技術の観点からスチームパンクを語るのが得意。蒸談ではMaRyの投げかけにじっくり応える“解説役”として登場することが多い。
プライムでやるって知ってた?

ねえ、プライムビデオで新しいシャーロック・ホームズが始まるの知ってた?

『ヤング・シャーロック』ね。3月から配信してるやつ。

そう!なんか若い頃のホームズで、オックスフォードが舞台っていう。見た?

まだ全部は見てないんだけど、ガイ・リッチーが監督・製作してるっていうのが面白くて。

ガイ・リッチー? 映画版のホームズの人だよね。

そう。ロバート・ダウニー・Jr.が主演だった、あのシリーズ。2009年の映画から繋がってる。

あの映画すごく好きだった。なんかかっこよかった記憶がある。

あれ、けっこう異色の解釈なんだよね。ただの推理ものじゃなくて。
そもそも「シャーロック・ホームズ」って何者なのか

「シャーロック・ホームズ」って名前は当然知ってるし、なんとなく「すごい名探偵」ってのはわかるんだけど、改めてちゃんと説明しようとするとうまく言えないかも。

じゃあそこから整理しようか。アーサー・コナン・ドイルが1887年から書き始めた小説のキャラクターで、ベイカー街221Bに住む「諮問探偵(しもんたんてい)」。

諮問探偵? 普通の探偵と何が違うの?

警察とか個人から依頼を受ける立場で、「専門的な知識と推理力を提供する」みたいなイメージ。観察眼が異常に鋭くて、会った瞬間に相手の職業とか直近の行動を言い当てる。

あー、初対面で「あなたはアフガニスタン帰りですね」って言う人か。

そう。助手のワトソン博士との掛け合いも有名で、短編・長編合わせて60の物語がある。

60作!

ドイルが1927年まで書き続けて、世界でいちばん有名な架空の人物、って言われるくらいになってる。

生みの親のドイルが逆に、ホームズに食われてるくらいの有名さだよね。

本人も嫌になってホームズを殺そうとしたくらいだからね(笑)。
ホームズとワトソンの関係性の話

ワトソンって、いつも「すごいですね、ホームズ!」って言う人、みたいなイメージがあったんだけど。

それ、映画とかドラマの描き方でかなり差があって。原作だと実はかなり優秀な人物なんだよ。アフガニスタン従軍経験がある軍医で、戦闘力もある。

え、そうなんだ。

ホームズが天才的すぎるから相対的に霞んで見えるだけで、普通に優秀な人。

そう考えると「負けてない」ほうのワトソンの映像化、見てみたい気がする。

それをやったのが映画のガイ・リッチー版で。ジュード・ロウ演じるワトソンが、ちゃんとホームズと対等に戦う。

だからあの映画、活劇として成立してたんだ。
ガイ・リッチー版は「どこが違った」のか

改めて、ガイ・リッチー版のホームズって、従来の映像化と何が違うの?

一番大きいのは、ホームズの「野性味」を全面に出したこと。それまでの映画やドラマって、ホームズを「冷静で品のある紳士」として描くことが多かった。

マントと鹿撃ち帽のイメージ。

そう。ガイ・リッチー版は全然違って——自室で薬物実験してるし、部屋は散らかり放題だし、喧嘩も強い。

なんか、そっちのほうが原作に近いんだっけ?

そうなんだよ。コナン・ドイルの原作を読むと、ホームズってずっとボクシングをやっていて、武術の達人で、気が向いたときしか働かない、かなりアウトローな性格なんだよね。それを「紳士的な探偵」に整えたのは後の映像化の話。

原典に戻りながら、現代的にした、ということか。

ちょうどそういうことだと思う。「正典のホームズ像の再発掘」と、現代のアクション映画の文法を組み合わせた感じ。
スローモーションの謎を解く

映画版の印象的なシーンとして、戦闘前にホームズがどこに打撃を当てるか「シミュレーション」するやつがあるじゃない。あれが好きなんだけど、ただかっこいいだけじゃなくて意味があった?

あれはまさに「ホームズの思考を映像化した」演出で。「ファントム」っていうハイスピードカメラを使って、1秒の動きを何十秒にも引き延ばしてるんだよね。

超スローモーションで、皮膚が歪むくらいまで見える。

ホームズが暴力を「科学的なプロセス」として制御してる、っていう意味を持たせてる。感情で動いてるんじゃなくて、物理的なシミュレーションとして打撃を設計してる。

なるほど、「脳内でやってること」が映像になってるわけだ。

「演繹的推理を、アクションに適用したら」っていう実験が、あのスローモーションなんだと思う。
スチームパンクとして見るホームズ

ガイ・リッチー版って、スチームパンクって言われることあるよね。

よく言われる。ヴィクトリア朝のロンドンを舞台にして、蒸気と煤煙と石造りの建物と、ゴシックなアンダーグラウンドが混在する世界観だから。

そこにスチームパンクの「機械の構造が見えていた時代」への眼差しがある?

ある。ホームズの部屋に溢れてる怪しげな実験器具とか、爆発の試薬とか、機械的なガジェットとか——「科学がまだ魔術的な神秘を帯びていた時代」の感触がある。

科学なんだけど、魔術っぽい。

そのあたりがヴンダーカンマーの話とも繋がってくるんだよね。16〜17世紀の「科学と迷信が交差する場所」と、19世紀末の「科学と黒魔術が対決する場所」は、どこか地続きな気がする。

あ、確かに。映画で悪役のブラックウッド卿が黒魔術を使うじゃないけど、最終的にホームズが「これは全部タネのあるトリックだ」って解体していく構図ね。

科学の光でオカルトの闇を払う、っていうのがガイ・リッチー版のテーマの核にある。ヴィクトリア朝という舞台設定が、あの対立をすごく自然に機能させてる。
ホームズが現実の科学に与えた影響

そういえば、ホームズって実際の犯罪捜査に影響を与えたって本当?

かなり直接的に与えてる。たとえば現代の鑑識技術の基礎を作ったエドモン・ロカールって人は、「私はシャーロック・ホームズの手法を模倣したに過ぎない」と言ってる。

架空の人物に「影響を受けた」って言うの、すごくない?

でも実際にホームズは靴の泥の分析でその人がどこから来たか当てたり、血痕の分析に独自の試薬を使ったり当時の実際の法医学より先を行ってた。

フィクションが現実の科学を引っ張ってたわけか。

タバコの灰を140種類識別する論文を書いてる、って設定があるんだけど、ああいう「特殊な微細証拠への着目」が、実際の犯罪捜査者たちの発想を刺激した。

すごいな。「実在しない人物の業績」がちゃんと機能してたんだ。

それがシャーロック・ホームズという現象の、たぶん一番不思議なところだと思う。
「シャーロキアン」たちの遊び場

ホームズのファンって「シャーロキアン」って呼ばれるんだよね。なんかコアなイメージがある。

コアどころじゃなくて、ホームズを「実在の人物」として扱って研究するっていう独自の文化がある。コナン・ドイルは「ワトソンの出版エージェント」扱い(笑)。

え、作者を降格させてるじゃないか(笑)。

で、原作の中の矛盾、ワトソンの結婚回数が合わないとか、怪我した場所の記述が変わってるとか、をいかに「論理的に説明できるか」を競うのが「研究ごっこ」と呼ばれる遊びで。

つじつまを合わせることに本気になるの?

本気中の本気で。1934年にアメリカで「ベイカー・ストリート・イレギュラーズ」っていう団体ができてて、今も活動してる。

90年以上続いてるのか。ホームズの引力、異常だな。

ガイ・リッチーの『ヤング・シャーロック』で「19歳のホームズ」が描かれたことで、シャーロキアンたちが「この描写は年代学的に正しいか」って本気で検証してるらしい。

わかる。それはもう反射的にやっちゃうやつだ(笑)。
「ヤング・シャーロック」が掘り起こすもの

新しいドラマ、どんな話なの?

1870年代のオックスフォード、19歳のホームズが初めて殺人事件に向き合う話。で、そこで後に宿敵になるモリアーティと出会う。

モリアーティとの原点がある。

シャーロキアン的に「大空白時代」って呼ばれる、ライヘンバッハの滝での死から復活するまでの空白とは別に、ホームズがどうやって「名探偵」になったのかっていう空白部分に手を入れてる。

完成形じゃなくて、形成途中のホームズ。

映画版のRDJのホームズが「経験に裏打ちされた完成形の天才」なら、こっちは「まだ制御できていない、爆発的な閃きを持つ問題児」って感じの描き方らしい。

推理が形を成していく途中、か。それはそれで見たくなる。

「整いすぎる前のホームズ」を見るっていう体験は、たぶん映画版とは全然違う引力がある。

ほころびの中に何かがある、って感じで。

あ、それうまい。アジアンゴシックの話でも出てきた言葉だけど、どこかで繋がる気がする。「完成される前の歪みの中に、本質がある」っていうのは。
コラム:「221B」という磁場
ベイカー街221Bは、いまも実在する。 1815年建造のジョージアン様式の建物は「シャーロック・ホームズ博物館」として、ヴィクトリア朝当時のホームズの部屋を再現して公開されている。
不思議なのは、そこが「架空の人物の住居」だということだ。 存在しなかった人の残したものが、これほどの密度で空間に宿っている場所は、他にそうない。
ガイ・リッチーが映画で描いた煤煙と蒸気のロンドン。ガス灯の静謐を守る博物館の一室。 その両方が「本物」として並立している、それがシャーロック・ホームズという現象の、いちばん奇妙で魅力的な部分かもしれない。
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「湿った迷宮のような、アジアの闇の美学」が気になった人へ
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文・構成:ツダイサオ(日本スチームパンク協会 理事)
スチームパンクにまつわるデザイン、企画、執筆を通じてものづくりと空想の魅力を発信中
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