飛行船とスチームパンク|最初の一隻は蒸気機関で飛んだ


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スチームパンクのイラストを開けば、たいてい空に飛行船が浮かんでいる。歯車と並んで、この世界観を象徴するアイコンだ。ではなぜ飛行船なのか。ひとつには、あれが飛行「機」ではなく飛行「船」だからだと思う。そしてもうひとつ、理由は「かっこいいから」ではなく史実にある。人類が初めて自分の意志で空を動かしたとき、その船を押していたのは、海の船と同じ蒸気機関だった。1937年に姿を消したはずの巨体は、いま電気で還ってきている。
■この対談に登場するふたり

MaRy(マリィ): 日本スチームパンク協会 代表理事。感覚派で、スチームパンクの"ワクワクするところ"を見つけ出すのが得意。気になったことはどんどん質問するスタイルで、対談の聞き手としても案内役としても活躍中。

ツダイサオ:日本スチームパンク協会 理事。物事を論理的に捉えるタイプで、歴史や文化、技術の観点からスチームパンクを語るのが得意。蒸談ではMaRyの投げかけにじっくり応える"解説役"として登場することが多い。
空にはいつも、あの船が浮かんでいる


スチームパンクの絵を描く人って、なんであんなに飛行船を描きたがるんだろう。

気づいた? 歯車と飛行船は二大アイコンだよね。背景に一隻浮かべておくと、それだけで世界観が成立してしまう。

ずるいくらい便利なんだよね。でも、なんでなんだろ。気球でも複葉機でもなく、飛行船。

ひとつは形だと思う。飛行機は速さのための形をしてるけど、飛行船は容積のための形をしてる。中に何かが詰まっている感じがするでしょ。

あー、たしかに。あれって「船」なんだよね。空を飛ぶ乗り物というより、空に浮かぶ船。

そこ、いいところを突いてると思う。名前からして「船」でしょ。英語でもairship、空の船だ。

言われてみれば、飛行機は「機」で、飛行船は「船」なんだ。

で、船って、僕たちの中で特別な意味を持ってるんだよ。海底二万里のノーチラス号とか、宝島の帆船とか。船は、地図の外へ出ていく乗り物なんだ。

あー、わかる。海に出るって、そういう感じがある。何があるか分からないところに向かっていく感じ。

一方で、飛行機はどうかというと。

空港から出て、空港に戻ってくる。

そう。時刻表があって、行き先が決まってる。気球も似ていて、上がって、降りてくる。どっちも往復のイメージなんだよ。

飛行船だけが、片道っぽいのか。

観光と探検の違い、と言ってもいいかもしれない。観光は帰る予定が決まってるけど、探検は帰れる保証がないでしょ。

飛行船は探検側なんだ。だからスチームパンクの絵の飛行船って、たいてい雲の海を渡ってるんだ。あれ、ほんとに海を進んでるつもりで描かれてるのかも。

19世紀の海洋冒険小説が持っていた「未知へ漕ぎ出す」という感覚を、そのまま空に持ち上げたのが飛行船なんだと思う。

でもそれって、あくまでイメージの話だよね?

それがね、イメージだけじゃないんだ。当時、海の船を動かしていたのは何だった?

……蒸気機関。外輪船とか。

同じものが、空の船も動かしたんだよ。

え。蒸気機関で? 空を?

1852年、パリ。人類が最初に飛ばした動力付きの飛行船は、本当に蒸気機関で飛んでる。しかもこの話、先週の万博の回ともつながってくる。
飛行船は英語でもairship、文字どおり「空の船」である。空港と空港を往復する飛行機や気球と違い、船は地図の外へ出ていく乗り物というイメージを持つ。そして史実として、最初の動力飛行船は海の船と同じ蒸気機関で飛んでいた。1852年、フランスでの出来事である。
1852年、蒸気エンジンを空に吊るした男

どういう人が作ったの?

アンリ・ジファールというフランスの技師。もともと蒸気機関の専門家でね。1852年9月24日、パリからトラップという町まで、約27キロを飛んだ。これが人類初の、操縦できる動力飛行とされてる。

27キロってけっこうな距離だよ。エンジンはどんなの?

出力3馬力の蒸気エンジン。ガス袋の容積は2,500立方メートル。要するに、細長い気球の下に蒸気機関をぶら下げて、プロペラを回したんだ。

……待って。蒸気機関って、火を焚くよね。

焚くね。

その真上に、ガスの詰まった巨大な袋があるんだよね。

あるね。

正気?

(笑)ジファールも当然それは分かっていて、煙突を下向きにして、金網を張って火の粉が上がらないようにしてる。それでも、現代の安全基準からすればとんでもない話ではある。

勇気というか、なんというか……。

でもね、この一回の飛行が証明したことは大きいんだ。それまで気球は、風に運ばれるだけの乗り物だった。上がるか下がるかしか選べない。ジファールは初めて、空で「行きたい方向」を選んだんだよ。

あ、そうか。風任せじゃなくなった最初の日なんだ。

ちなみにこの飛行、風が強くて出発地点には戻れていない。旋回はできたけど、風に逆らって進むには3馬力では足りなかった。だから完全な成功とは言えないんだけどね。

それでも、方向を選べたってことが第一歩だったんだ。
1852年9月24日、アンリ・ジファールは3馬力の蒸気エンジンを搭載した飛行船でパリからトラップまで約27キロを飛行した。風に流されるだけだった気球と異なり、進む方向を選べた初の有人動力飛行とされる。
そして彼は、万博にもう一度現れる

で、ここが面白いんだけど。先週、万博の話をしたでしょ。

うん、水晶宮とエッフェル塔の。

ジファールはその後、パリ万博に巨大な気球を出しているんだ。1867年と1878年の二回。

えっ、同じ人?

同じ人。1878年のやつがすごくてね。容積25,000立方メートル、直径約20メートル。40人を乗せて500メートルまで上がる係留気球を、会場に設置したんだ。しかも一日に10回運行してる。

40人乗りの観覧気球……。それ、完全にスチームパンクの絵じゃん。

実在したんだよ。パリの空に浮かんで、客を乗せて上下していた。

人類初の動力飛行をやった人が、25年後には万博のアトラクションを作ってるの、なんか味わい深いね。

先週話したとおり、万博は「進歩を見世物にする」装置だったでしょ。ジファールは自分の技術をまさにその形で展示したわけ。

しかも彼、発明家としても有名なんだっけ。

1858年に蒸気機関のインジェクタを発明してる。ボイラーに給水するための装置でね。これは今も使われている。飛行船の人として記憶されているけど、技術史的にはこっちの功績のほうが大きいくらいなんだ。

空の話とボイラーの話が同じ人の中にあるの、いいな。
ジファールは1867年と1878年のパリ万博に巨大な係留気球を出展した。1878年のものは容積25,000立方メートルで40人を乗せて500メートルまで上昇し、一日10回運行された。彼はまた1858年に蒸気機関のインジェクタを発明している。
1929年、土浦の空に巨大な船が来た

そこから飛行船の黄金時代になるの?

19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、ドイツのツェッペリン伯爵が硬式飛行船を実用化して、一気に大型化するんだ。骨組みを持った構造だから、桁違いに大きくできる。

硬式っていうのは、中に骨があるってこと?

そう。ガスの圧力で形を保つんじゃなくて、金属の骨組みで船体を作って、その中にガス袋を並べる。だから200メートル級の船が可能になった。

200メートル。ビルが横に浮かんでるようなものだ。

その代表格が、グラーフ・ツェッペリン号、LZ127。全長236メートル。1929年に世界一周飛行をやってのけた船でね。この船、日本に来てるんだよ。

え、日本に来たの!?

1929年8月19日、茨城県の霞ヶ浦に着陸してる。アメリカから太平洋を越えてきて、世界一周の途中で日本に寄ったんだ。

日本の空にツェッペリンが浮かんでたんだ……。想像できないな。

当時の記録がすごくてね。東京の上空を通過したとき、千住、上野、日本橋、丸の内と進んでいく先々で、屋上という屋上、窓という窓に黒山の人だかりができたと伝えられてる。

みんな外に出て見上げたんだ。

霞ヶ浦にも見物客が殺到して、上野と土浦の間に臨時列車が何本も増発された。停泊期間中の来訪者は30万人とも40万人とも言われてる。

30万人!? 令和のイベントでもなかなか出ない数字だよ。

しかもこの話、ちょっと面白い後日談があってね。飛行船の乗員をもてなすとき、幹部は料亭で歓迎会だったんだけど、下士官以下には飛行場で海軍伝統のカレーが振る舞われたんだ。

カレー。

そのエピソードが元になって、今も土浦には「ツェッペリンカレー」というご当地カレーがある。 土浦ツェッペリン倶楽部という市民団体もあって、「飛行船のまち」として町おこしをしてる。

100年前に飛行船が一回来ただけで、いまだにカレーがあるの?

それだけの事件だったってことだよ。ちなみにこのグラーフ・ツェッペリン号、世界一周に要したのは21日7時間33分。飛行距離は約3万2,790キロ。

3週間で地球一周か。当時としては驚異的だよね。
1929年8月19日、ドイツの飛行船グラーフ・ツェッペリン号(LZ127、全長236メートル)が世界一周飛行の途上で茨城県の霞ヶ浦に飛来した。停泊期間中の来訪者は30万〜40万人とも言われ、そのときのエピソードが現在の「土浦ツェッペリンカレー」の由来となっている。
乗り心地は、たぶん今の飛行機より良かった

飛行船って、乗り心地はどうだったんだろう。あんな大きいものがふわふわ浮いてるんだから、けっこう揺れそうなイメージなんだけど。

それがね、記録を読むと逆なんだ。びっくりするほど揺れない。

えっ、そうなの?

後継のヒンデンブルク号、LZ129の処女航海に同乗したアメリカ人記者が、こう書き残してる。「ビロードのような滑らかさで空気の中を滑っていき、振動はほとんどなかった。船体は揺れも跳ねもせず、モーターの音もかすかにしか聞こえなかった」

ビロード。

しかもこの人、途中で嵐に遭ってるんだよ。そのときのことも書いてる。食堂と書き物机に飾ってあったスイートピーとカーネーションの花瓶が、一本も倒れなかった。自分の船室では、なみなみ注いだコップの水が一滴もこぼれなかったって。

嵐のなかで!?

別の記録には「テーブルの上に鉛筆を立てられた」という表現もある。

それ、今の飛行機より快適じゃん……。

理屈は単純でね。飛行機は翼で空気を切って、無理やり機体を持ち上げてる。だから空気の乱れがそのまま機体に伝わる。でも飛行船は浮力で浮いてるから、水に浮かんだ船と同じで、ただそこに在るだけなんだ。

浮いてるものは、揺すられにくいのか。

離陸もほとんど分からないらしい。気づいたら浮いていた、という記録がある。夜になると乗客は、客船と同じ習慣で船室の外の廊下に靴を出して寝てたそうだよ。

完全に船の感覚なんだ。

そして極めつけがこれでね。飛行中に、窓が開く。

え、開けていいの?

いいんだ。与圧してないからね。通路沿いにプロムナードデッキがあって、乗客はそこの窓から身を乗り出して外を眺めてた。さっきの記者はこう書いてる。「時速80マイルの風の中に手を突き出してみて、はじめて自分たちの速さが分かった」

うわ、それ乗りたい……。

しかも飛んでる高さが、巡航でおよそ200メートル。必要なら100メートルまで下げられる。

200メートルって、東京タワーより低いよ。

だから大西洋を渡っている間、ずっと海面が見えてる。船や氷山を見下ろしながら、三日かけて渡っていくんだ。

窓を開けて海を見下ろしながら三日間。豪華客船の甲板と同じことを、空でやってるんだ。

「空飛ぶ客船」と呼ばれた理由はそこなんだよ。中身もちゃんと客船でね。食堂、ラウンジ、バー。そして喫煙室。

喫煙室!? 水素の船の中に!?

もちろん無策じゃなくて、その部屋だけ気圧を高くして、水素が入り込まないようにしてある。出入り口は二重のエアロック式で、バーを通らないと入れない。ライターも部屋に固定された一個だけ。

そこまでして吸いたいか(笑)。

西回りだと53〜78時間かかるからね。当時の感覚では、三日間タバコが吸えないほうが非現実的だったんだと思う。

じゃあ、逆に悪かったところはないの? いいことばっかり聞いてると怪しくなってきた。

あるある。まず船室がとにかく狭い。 2メートル×1.7メートルくらいの部屋に二段ベッド。壁は布張りのフォームで、洗面台にお湯と水が出るだけ。

ビジネスホテルより狭いな。

しかも客室には窓がない。

え、窓がないの!? あんなに景色がいいのに?

客室は船体の内側にあったからね。景色が見たければプロムナードデッキに出る。シャワーとトイレも下の階。つまり部屋は、寝るためだけの場所なんだ。

寝台列車と同じ考え方だ。

それと、とにかく軽さにうるさい。梯子にまで穴を開けて軽くしてるような船でね。乗客に配られるナプキンは、航海中ずっと一枚きり。

ナプキン一枚!? そこ削る!?

一枚ならわずかな重さでも、全員分を航海の日数だけ積めば無視できない重量になる。

徹底してるなあ。

ところが同じ船が、アルミ製のグランドピアノを積んでるんだよ。

矛盾してる(笑)。

軽量化のためにアルミで特注したピアノなんだけど、結局それでも重いということで、のちに降ろされている。

ナプキンを一枚に減らしてまでピアノを積んで、やっぱり降ろしたの、人間くさくていいね。

この矛盾が当時の空気をよく表してると思う。極限まで軽くしなきゃいけないのに、それでもラウンジにピアノを置きたかった。 そういう時代の乗り物なんだ。

わかるなあ、その気持ち。

1936年の一年間で、大西洋を17往復してる。ちゃんと営業路線として成立していたんだよ。窓の開く空飛ぶ客船が、定期便で大西洋を渡っていた時代が、実際にあった。

それ、スチームパンクの世界が現実だった時期があるってことじゃん。

そうなんだ。スチームパンクが飛行船を描くとき、それは空想を描いているようでいて、失われた現実を描いてもいる。
ヒンデンブルク号の乗り心地は極めて良好で、同乗記者は「ビロードのような滑らかさ」「嵐でも花瓶が倒れず、コップの水がこぼれなかった」と記録している。揚力ではなく浮力で浮くため乱気流の影響が小さいためである。与圧していないので飛行中に窓を開けることができ、巡航高度は約200メートルだった。一方で客室は約2メートル×1.7メートルと狭く、窓もなかった。
なぜ、燃える気体で飛んでいたのか

でも、ヒンデンブルク号って……。

うん。1937年5月6日、アメリカのレイクハースト海軍飛行場に着陸しようとしたところで炎上した。乗客13名、乗員22名、地上作業員1名の計36名が亡くなっている。

ニュース映像、見たことある。あれ衝撃的だよね。

ラジオの実況中継と、複数のカメラが回っている前で起きた事故だったからね。当時としては異例なほど生々しい記録が残ってしまった。飛行船の時代は、あの映像とともに終わったと言われる。

ずっと疑問だったんだけど、なんで燃える水素なんか使ってたの? ヘリウムなら燃えないよね。

ヒンデンブルク号は、もともとヘリウムを使う設計だったんだ。

え、そうなの?

当時、ヘリウムを工業的に生産できる国は事実上アメリカだけだった。ところがアメリカは1925年のヘリウム法で、その輸出を禁止していてね。

じゃあドイツは買えなかったんだ。

買えなかった。だから設計を変更して、水素で飛ばすことにした。つまりあの事故は、技術の限界というより、資源の政治の帰結だったんだよ。

……それはなんか、やりきれないな。

しかも皮肉なことに、水素はヘリウムより軽いから浮力が大きくて、その分だけ客室を増やせた。危険と引き換えに、商売としては条件がよくなってしまった面もある。

火災の原因は何だったの?

これは今も完全には決着していないんだけど、有力な説のひとつは静電気による外皮への引火。当時の船体の塗料には酸化鉄とアルミ粉が含まれていて、条件が揃うと燃えやすい組み合わせだったと指摘されている。

水素だけが悪者じゃなかったってこと?

少なくとも「水素だから一瞬で燃えた」という単純な話ではない、という議論はずっと続いてる。
ヒンデンブルク号は本来ヘリウムを使用する設計だったが、当時ほぼ唯一の生産国だったアメリカが1925年のヘリウム法で輸出を禁じていたため、水素に変更された。1937年5月6日の事故は36名の死者を出し、飛行船時代の終焉を象徴する出来事となった。
実は、事故の前から負けていた

あの事故がなかったら、飛行船は生き残ってたのかな。

そこ、よく言われるんだけど、僕は違うと思ってる。事故は最後の一押しであって、勝負はもっと前についていた。

どういうこと?

ヒンデンブルク号の巡航速度は時速122キロ。大西洋横断に2〜3日かかる。一方で飛行機はその頃どんどん速くなっていて、しかも大型化していた。

速さで勝てなくなってたんだ。

それだけじゃない。飛行船は巨大すぎて、格納庫も係留装置も専用の設備が要る。地上作業員も何十人と必要になる。浮くのはタダだけど、運用は全然タダじゃないんだよ。

あー、飛んでる間はガスが浮かせてくれるのに、地面にいるときがいちばん大変なんだ。

そう、しかも風に弱い。荒天時には出られない。定時運航という点でも分が悪かった。

なるほど。ロマンはあるけど、事業としてはしんどいのか。

この構図、蒸気機関のときの話と同じなんだよね。

あ、そうだ。前に蒸気機関と内燃機関の話をしたとき、蒸気機関は「エネルギー源と駆動が分かれている」のが特徴だって言ってたよね。

うん。飛行船も似ていて、「浮く仕事」と「進む仕事」が完全に分かれてる。浮くのはガスの担当で、エンジンは進むことだけに専念すればいい。 だから燃料をほとんど使わずに空にいられる。

それって、めちゃくちゃ効率いいよね?

効率だけを見れば、今でも飛行機より圧倒的にいい。負けたのは効率じゃなくて、速度と利便性なんだ。

……その言い方だと、なんか含みがあるね。

あるよ。速度と利便性の優先順位が変われば、判定は変わるかもしれない。 そして実際、変わり始めてる。
飛行船が衰退した理由は事故だけではない。速度で飛行機に劣り、専用の格納庫や多数の地上作業員を要する運用コストの高さ、悪天候への弱さが決定的だった。一方で「浮く仕事」をガスが担うため、燃料効率では現在も優位に立つ。
そして今、また飛んでいる

変わり始めてるって、どういうこと?

いま、カリフォルニアの空に大型の硬式飛行船が飛んでるんだ。

えっ、現役で?

LTAリサーチという会社が作った「Pathfinder 1」。全長およそ122メートル、直径20メートル。1930年代以来はじめて建造された大型の硬式飛行船で、現時点で世界最大の航空機とされている。

世界最大の航空機が飛行船なの? 今?

長さで言えばそうなる。2024年10月に初の係留なし飛行をして、その後テスト範囲を広げて、サンフランシスコ湾の上空も飛んでる。ゴールデンゲートブリッジの上を通ったこともある。

見たいなそれ。

中身がまた現代的でね。骨組みはチタンと炭素繊維。動力は電動モーター12基。 ガスはもちろんヘリウム。

蒸気機関から始まって、電動モーターまで来たのか。

この会社を立ち上げたのは、Googleの共同創業者のひとりであるセルゲイ・ブリン。2013年設立だから、もう10年以上やってる。

なんでいま飛行船なんだろう

いちばん語られてるのは、災害支援。滑走路がいらないんだよ。 空港が壊れた被災地に、大量の物資を運んで、垂直に降ろせる。

あ、そうか。飛行機は降りる場所が要るけど、飛行船は要らないんだ。

それと燃費。さっき言ったとおり、浮くのにエネルギーがいらないから、輸送にかかるエネルギーが桁違いに小さい。脱炭素という優先順位が入ってきた瞬間に、この特性がもう一度評価され始めたわけ。

負けた理由が変わったんじゃなくて、採点基準のほうが変わったんだ。

そういうこと。速さだけで競ってたら勝てない。でも「静かで、燃料を食わず、滑走路が要らない」という土俵なら、いまだに無敵に近い。
LTAリサーチの「Pathfinder 1」は全長約122メートル、1930年代以来初の大型硬式飛行船であり、現時点で世界最大の航空機とされる。チタンと炭素繊維の骨格に12基の電動モーターを備え、災害支援や低炭素輸送での活用が想定されている。
着地

なんかさ、話を聞いてて思ったんだけど。飛行船って、一回も「間違い」ではなかったんだね。

どういうこと?

消えた技術って、たいてい「あれは無理があった」って言われるじゃん。でも飛行船は、無理があったんじゃなくて、時代の条件に合わなくなっただけで。理屈の部分はずっと正しかったんだなって。

それは鋭いな。しかも100年前に完成していた原理が、そのまま通用してる。Pathfinder 1の骨組みの発想は、ツェッペリンの時代と根本的には変わってないんだよ。

材料がジュラルミンからチタンと炭素繊維になっただけ。

エンジンが蒸気から電気になって、ガスが水素からヘリウムになった。でも「軽い気体で浮いて、プロペラで進む」という構造は、1852年のジファールから一度も変わっていない。

174年間、同じ考え方が生き延びてるんだ。

だから飛行船は、スチームパンク的なんだと思う。 古い原理が否定されずに、素材と動力だけを入れ替えて現役でいる。過去と現在が同じ形をしている乗り物なんだよ。

あ、それだ。スチームパンクの絵に飛行船が浮かんでても、全然違和感がないのって、そういうことなんだ。あれは過去の想像じゃなくて、今も成立してる形だから。

19世紀の絵と、2026年のニュース写真に、ほとんど同じ形のものが写っている。そんな乗り物、他にあんまりないでしょ。

ないね。……ちょっと悔しいな。

悔しい?

1929年の土浦の人たちは、本物を見上げてるんだよ。30万人が空を見て、うわーって言ってる。私も見たかった。

じゃあ、まだ間に合うかもしれないよ。

え?

あれがもう一度、当たり前に空を飛ぶ時代が来たら、僕たちも見上げることになる。そのとき空に浮かんでるのは、たぶん僕たちが絵の中で何度も見てきた形をしてるはずだから。
よくある質問
Q. なぜスチームパンクには飛行船がよく登場するのですか?
A.理由は大きく二つあります。ひとつは、飛行船が英語でairship、文字どおり「空の船」であること。空港と空港を往復する飛行機や気球と異なり、船は地図の外へ漕ぎ出すイメージを持つため、19世紀の海洋冒険小説的な世界観と相性がよいのです。もうひとつは史実で、人類初の動力飛行船が蒸気機関で飛んでいたこと。飛行船は空想の産物ではなく、実際に蒸気の時代の乗り物でした。
Q. 世界初の飛行船はいつ飛んだのですか?
A.操縦可能な動力飛行船としては、1852年9月24日にフランスのアンリ・ジファールが飛ばしたものが世界初とされています。3馬力の蒸気エンジンを搭載し、パリからトラップまで約27キロを飛行しました。風に流されるだけだった従来の気球と異なり、進む方向を選べた点が画期的でした。
Q. 飛行船はなぜ蒸気機関で飛べたのですか?
A.飛行船は浮力をガスが担うため、エンジンは「浮く」仕事をする必要がなく、前進させる推力だけを出せば足ります。そのため出力の小さい初期の蒸気機関でも飛行が成立しました。この「浮く仕事と進む仕事を分離する」構造は、現代の飛行船でも変わっていません。
Q. 飛行船の乗り心地はどうだったのですか?
A.非常に良好だったと記録されています。ヒンデンブルク号の処女航海に同乗した記者は「ビロードのような滑らかさで、振動はほとんどなく、モーターの音もかすかにしか聞こえない」と書き残し、嵐に遭遇した際も「花瓶が一本も倒れず、コップの水が一滴もこぼれなかった」と伝えています。翼の揚力ではなく浮力で浮いているため、乱気流の影響が飛行機より格段に小さいのです。また与圧していないため飛行中に窓を開けることができ、巡航高度も約200メートルと低いため、海面を眺めながら渡ることができました。一方で客室は約2メートル×1.7メートルと狭く窓もなく、シャワーやトイレは下の階にあるなど、居住性そのものは寝台列車に近いものでした。
Q. ヒンデンブルク号はなぜ水素を使っていたのですか?
A.本来はヘリウムを使う設計でした。しかし当時ヘリウムを工業生産できる国は事実上アメリカだけで、アメリカは1925年のヘリウム法によってその輸出を禁じていました。ドイツはヘリウムを入手できず、設計を変更して水素を使用しました。1937年5月6日の事故では36名が犠牲になっています。
Q. 日本に飛行船が来たことはありますか?
A.あります。1929年8月19日、ドイツの飛行船グラーフ・ツェッペリン号(LZ127)が世界一周飛行の途上で茨城県の霞ヶ浦に飛来しました。停泊期間中の来訪者は30万〜40万人とも言われ、そのときのエピソードは現在も「土浦ツェッペリンカレー」というご当地グルメとして残っています。
Q. 現在も飛行船は飛んでいますか?
A.飛んでいます。アメリカのLTAリサーチが建造した「Pathfinder 1」は、1930年代以来初めて建造された大型の硬式飛行船で、全長約122メートル、12基の電動モーターを備えています。2024年に初飛行し、サンフランシスコ湾上空での飛行も行われました。災害支援や低炭素輸送での活用が想定されています。
19世紀の技術がどこへ行ったのか、気になった人へ
飛行船を押した蒸気機関そのものと、同じ時代に生まれた設計思想の話もあわせてどうぞ。
飛行船が降りた街を訪ねたい人へ
城県土浦市は、1929年のツェッペリン伯号飛来を「飛行船のまち」として今に伝えています。空に実物は浮かんでいませんが、ツェッペリンカレーは食べられます。
スチームパンクそのものが気になった人へ
蒸気機関が発展し続けた“もうひとつの歴史”から生まれた世界観。定義から楽しみ方まで、まずは入口から。
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文・構成:ツダイサオ(日本スチームパンク協会 理事)
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