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【第10回】ゲームに見るスチームパンクの表現

  • 執筆者の写真: 日本スチームパンク協会
    日本スチームパンク協会
  • 4月23日
  • 読了時間: 2分

更新日:6月6日


喫茶蒸談話ロゴ

喫茶『蒸談』へようこそ

ここは蒸気と機械、そして想像力が交差する場所

歯車が回るように、言葉を紡ぎながら

スチームパンクの世界をめぐるひとときを

さあ今日の話題は?



なぜスチームパンクはゲームと相性がいいのか?


スチームパンクの世界観は、なぜこれほどゲームの舞台として好まれているのだろう?

その理由のひとつは、“機械が感情を持っているかのように感じられる世界”をつくれるからだ。歯車が軋む音、蒸気が噴き出す演出、金属と革の重厚な質感。そうした要素は、インタラクティブなメディアでこそ真価を発揮する。

加えて、スチームパンクは「もうひとつの歴史」、つまりオルタナティブ・ヒストリーを体験させるのに最適な舞台でもある。「もし蒸気技術が電気よりも先に支配的になっていたら?」「もし魔法と科学が融合していたら?」そんな“ありえたかもしれない過去”を、プレイヤー自身が生きることができる。

たとえば:

  • 『ファイナルファンタジーVI』 ─ 魔導技術という架空科学が支配する世界

  • 『バイオショック』のような、科学の暴走と階級社会が交差するアンダーワールド

  • 『ディスオナード』 ─鯨油を動力とする架空都市で、陰謀と科学が交差する

こうした作品に共通するのは、合理性よりも「物語としての魅力」を優先した世界設計だ。建物の構造や服装ひとつをとっても、「なぜこうなっているのか」ではなく「その方がワクワクするから」という理由が通る。

バウハウス的なモダニズム――機能こそ美、装飾は罪、という発想――は、ゲームのような“体験型の物語空間”では時に冷たくなりすぎる。その逆にあるのが、スチームパンクの「物語をまとった機能美」だ

スチームパンクなゲームが私たちを惹きつけるのは、装飾過多でも非効率でもいいから、そこに「想像の余地」や「美しさへの偏愛」があるからなのかもしれない。



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